社労士という仕事の、その先に見えるもの
社労士という仕事の、その先に見えるもの
――制度の向こうにある、働く人の「横顔」を見つめながら
社労士として日々現場に関わる中で、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。
労務トラブルの相談でも、助成金の手続きでもない。
そうした制度や仕組みの奥に、ひとつの「働く顔」が浮かび上がってくるときだ。
誰にも見せない、疲れた表情。
声にならない不安。
言葉の裏に隠された、本音。
それらは、帳簿や法律だけを見ていても、決して気づくことはできない。
横顔は、正面からは見えない。
だからこそ、社労士は制度の枠に収まりきらない「人間の揺らぎ」に目を向けるべきだと思う。
正しさと現実は、ときにすれ違う
制度は、誰かを守るためにある。
けれど、その「守る」という意図が、ときに現場を縛ってしまうことがある。
たとえば、労働時間の是正を求められても、
「じゃあ、明日から誰が現場に立つのか」という現実に、経営者は直面する。
最低賃金が上がり続ける今、
人を雇うことが“経営リスク"と見なされるような空気もある。
正しさが、苦しさに変わることがある。
それは、経営者にとって最も重い矛盾のひとつだ。
その矛盾の中で、それでも誰かの雇用を守ろうと踏ん張る。
そんな姿を、何度も見てきた。
法律と人のあいだに立ち続けるということ
社労士の役割は、法律の代弁者でもなければ、現場の代弁者でもない。
その両者の“あいだ"に立ち続けること。
そこには、揺れも葛藤もある。
けれど、その狭間でバランスをとることこそが、
“人が働く"という営みを壊さずに守っていく、唯一の道なのだと思う。
ときに誇らしく、ときに苦しい。
それでも、制度を人に近づけていくこの仕事には、確かな意味がある。
経営とは、決断の連続である
「社員を守りたい」
「でも、数字が追いつかない」
「今を乗り越えなければ、明日が来ない」
経営とは、正解のない問いに、毎日「決断」という答えを出し続ける営みだ。
誰かに褒められることは少なく、
むしろ批判の矢面に立つこともある。
それでも、その背中には、社会の雇用の未来が乗っている。
だからこそ、「制度通りにやりましょう」と簡単に言うことはできない。
現場にとって、会社にとって、いま何が最善か。
その答えを、丁寧に、時間をかけて組み立てていくしかない。
制度を語るのではなく、人の生き方を支えるために
社労士という仕事は、結構泥臭い仕事だ。
華やかな成功も、派手な舞台もない。
けれど、確実に、誰かの働く日常を支える力がある。
経営者の孤独や不安を、
働く人の迷いや痛みを、
すべて解決することはできなくても、
そのそばに立ち続けることはできる。
制度の知識を携えながら、
法律と人のあいだに立ち、
その揺らぎごと受け止めながら――
「守る」ことと「生き残る」ことを、どう両立させていくのか
経営に正解はない。
けれど、問いを手放さずに考え続けることだけはできる。
社労士という仕事は、制度をふりかざすことではなく、
その問いのそばに立ち続けることなのかもしれない。
「この時代に、誰のために、何を守るのか。」
その問いを忘れずに、今日もまた、制度の向こうにある「横顔」を見つめている。